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北海道紀行『土方歳三と榎本武揚の生き方について考える』

幕末から明治維新にかけての動乱期において、旧幕府軍の中心人物として共に戦った土方歳三と榎本武揚は戊辰戦争の終盤、箱館(現・北海道函館市)の五稜郭を拠点に最後まで新政府軍と戦い抜いた同志だが、その生き方には対照的な美学と軌跡があった。

土方歳三の生き方:「武士より武士らしく」生を全うした孤高の生涯

・「鬼の副長」としての組織統率

武蔵国多摩の農民出身である土方は、局長・近藤勇らと共に新選組を結成。規律を厳格に守らせる「鬼の副長」として組織をまとめ上げ、京都の治安維持に奔走した。身分違いの武士社会の中で、誰よりも「武士らしく」生きることにこだわり抜いた生き様が特徴。

・敗色濃厚の中でも戦い続けた執念

鳥羽・伏見の戦い以降、主君・徳川慶喜が恭順を示す中、土方は新選組を率いて甲州、宇都宮、会津、そして箱館へと北上し、敗色濃厚となっても戦い続けた。

・五稜郭での散り際

榎本武揚が総裁を務める箱館政権では陸軍奉行並などの要職に就き、新政府軍との最後の決戦(箱館戦争)に臨んだ。明治2年(1869年)5月11日、新政府軍の総攻撃の最中、乱戦の中で銃弾に倒れ、34歳の若さでその生涯を閉じた(榎本武揚:33歳)。最後まで組織と理想に殉じた「ラストサムライ」として語り継がれている。

榎本武揚の生き方:最新の知見を持ち、新しい時代を切り拓いて生き抜いた

・高度な国際感覚と技術を持つエリート

幕府の海軍副総裁を務めた榎本は、オランダ留学を経験して西洋の軍事技術や国際法を学ぶなど、当時としては極めて先進的な頭脳を持つ人物だった。

・蝦夷共和国の樹立と理想

旧幕府艦隊を率いて北へ逃れた後、箱館の五稜郭を拠点として、日本初の選挙制度(入札)を導入した自治政府「蝦夷共和国」の総裁に選ばれた。旧幕臣たちが新しい時代を生きるための開拓地を作ろうと模索した。

・降伏後の明治政府での活躍

五稜郭の開城後、死を覚悟していた榎本だったが、その卓越した才能(特に国際法や海軍の知識)を惜しんだ黒田清隆らの尽命嘆願により助命された。その後は一転して明治政府に出仕し、逓信大臣や外務大臣などを歴任。かつての敵と手を取り合い、日本の近代化に大きく貢献した。

二人の生き方の比較

・「散った者」と「生き抜いた者」

土方は自らの信念と組織に殉じて戦場で命を散らしたが、榎本は敗者となった後も生き延び、明治という新しい日本のために知力を尽くした。

・信頼関係

対照的な二人ではあったが、榎本は土方のことを「入室伹清風(にゅうしつしょせいふう):部屋に入ると、さわやかな風が吹き抜けるような清々しい人物」と高く評価しており、立場やバックグラウンドを超えて深く信頼し合っていた。

 

旧幕府勢力という同じ船に乗りながらも、一人は「滅びの美学」とも言える壮絶な死を選び、もう一人は「生きて新しい時代をつくる」という実利的な道を選んだ。この対比が、幕末のロマンを象徴するとともに私たちの心を強く揺さぶり続けるのかもしれない。

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